学生時代…とくに中学生から高校生の間、私は人嫌いでした。でも人と全く関わらずに生きることは難しく、人嫌いなのに寂しいという気持ちを持ち合わせていてとてもストレスの多い日々でした。
社会人になり、一人暮らしを始め、自分の環境をコントロールすることができるようになり、私は少しづつ人とコミュニケーションをとることに慣れ、気がつけば人と会うのが好きになりました。
今回はその話をしていこうと思います。
【目次】
学生時代は人嫌いでした
人嫌いになった理由はたくさんありますが、簡単にまとめると傷つけられることが多かったからです。
学生時代ってオブラートに包むということを知らないし、他人をぞんざいに扱うことができる自分ってすごいという風潮があったりして、誰もがきっと多少なりとも傷つき傷つけられたと思います。同性異性関係なくひどいことを言われたり、されたりしました。
どんなに自分を傷つけずに受け入れてくれる友達とだけつるんでいても、優越感に浸りたくって土足で踏み込んでくる人っています。ほっといてほしいと思ってもそれを口にする度胸はなく、サンドバックになってストレスをためる日々。
学生時代って家と学校が世界のすべてでした。お金もないので遠くにいくこともできず、当時はまだSNSもなかったので他のコミュニティに触れる機会もありませんでした。
だからこそ学校が楽しくないと毎日は苦痛で、クラスメートが自分を受け入れてくれないと世界の大半から拒絶されたような気持ちになりました。私はクラスメートも先輩後輩も無害な人でさえもひっくるめて「傷つけてくる(可能性がある)人」と認識するようになり、その認識が定着した頃立派な人嫌いになりました。
社会人になって世界が広がりはじめる
人嫌いでも人と全く関わらずに生きていくのは至難の技です。絵とか文才とか何かしら才能があれば極力人と関わらずに生きていくことは可能でしょう。しかし一般人の私は一般社会に溶け込むしかなく、学校を出たあとに会社という人がたくさん集まる組織に所属することになりました。
会社は学校よりも過ごしやすかったです。デスクワークだったので人よりもパソコンと向き合うことが多く、人と何かをするというよりもコツコツとこなしていく作業が人嫌いの私には向いていたのです。
運良く就職した会社はそこまでのブラック企業ではなく、多少の残業や休日出勤はあれどそれなりに自由な時間が確保できるようになりました。自由な時間があった私はまず「1人でできるやりたいこと」をやるようになりました。
ゲームをする、大量のマンガを購入またはレンタルして読む、映画館にいく、などなど。学生時代には金銭的理由でできなかったことを社会人生活で謳歌していきました。
趣味や好きなこと、興味があることが増えると自然と他人の意見が聞きたくなりました。同じゲームをした人はエンディングをどう考察しただろうか。同じマンガを読んだ人はどのキャラが好きなのだろうか。その頃にはSNSが生活に馴染んだ頃だったので私はSNSをきっかけに人と関わるようになりました。
最初は文章だけのやりとりだけでした。しかし気がついたらディスコードなどのアプリを使用して、通話しながら一緒にゲームをするようになりました。そこから徐々に交流が広がり実際に会うまでに発展したりもしました。その頃にはもう人嫌いは見る影もなく人と会うのが好きになりました。
きっと居場所は見つかるし好きになれる人も見つかる
がんばって生き抜いて社会人になった私が言いたいのは世界は思ったよりも広くて、こんな自分を受け入れてくれる人たちはどこかにいて、人嫌いでも好きになれるような人もいるということです。
例えば非正規雇用の男性って同性からも異性からもとやかく言われることが多いと思います。でもその肩書を堂々とかかげて、フリーターだからこそ得られる時間のメリットを全面に出して「丁寧な暮らし」をyoutubeに投稿している人もいます。
「ISATO VLOG」
フリーターとして生活しながら彼女さんと同棲している様子を投稿しているyoutuber。無印良品と料理が好きでおしゃれな部屋と料理が丁寧な暮らしの良さを伝えてくれます。
彼もまた彼のことを受け入れてくれる人たちがいるからこその存在です。世間的には「よくないイメージ」のものでさえも受け入れてくれる人はどこかにいます。むしろ「すてき!」「憧れる!」と肯定してくれる人もいます。
ゲームが好きな自分も、マンガが好きな自分も、受け入れてくれる人はどこかにいます。そしてそんな自分を受け入れてくれるコミュニティも探せばきっとあります。
お金がかからないSNSからでも自分の居場所を探してみてはどうでしょうか。自分の居場所が増えれば人嫌いも軽減するはずです。